どうすれば、自分の人生は良くなるのか、動き出すのか、ということばかり考えててきた
何かをすれば、良くなる、動き出す、のではないか、
そうならないのは、何もしていない、出来ていないからじゃないのか、と考えてきた
でも、何をすればいいのか、わからなかった
実際に、出来ることは思いつかなかった
だから、無理にでも自分の心の中からしぼり出そうと、
内省したり、本を読んだり、瞑想しようとしたり、してきた
だが、そうしようとすればするほど、堂々巡りになり、自分は何をしたいのかも解らなくなっていった
いつしか、人格的に完成すること、健全な精神状態になること、本当の自分になること、などに執着している状態になっていた
こうなると頭が回らない
それでも、無理に回そうとしていた
何かをすれば、自分の良くない状態が直り、人生が開けていくと信じ込んでいた
でも、その‘何か’が解らず、考え出せずにもがいていた
とりあえず何かをやってみて、それから考えようとも思っても、その勇気もなく、何かを考え出して、自分が‘出来る状態’になってからしようと、していた
一歩を踏み出せるように考え込もうとしていたのかもしれない
でも、やってみたとしても能力的に出来なかったと思う
だから、する気になれなかったのだと思う
ならば、何なら自分はできるのか、自分は本当は何をしたいのか、
それを考えてみたが、結局わからなかった
結局何もできなかった
こうしているうちに年月は経っていった
自分の人生は行き詰まっていた
しかし、最近読んだ本に‘どうすればいいのかわからなくなった時は何もしないのがいい’と書いてあった
その言葉に救われた
無理に何かをしよう、考え出そう、問題を解決しよう、とするから、それが執着となり、盲目となっていた
そんな自分に気づいた
何もしない、何も考えない、妄想もしない、
そうしたら、執着が少し取れた気がした
‘何もしないこと’に取り組んでいると、知らないうちに問題は解決したり、自分は何をすべきかわかって動き出せたり、するようになるらしい
僕は、まだそこまで至っていないが、その過中にあるような気がしてきた
でも、少しでも油断すると、また自分はどうすればいいのか、などと執着的に考える状態に戻ってしまう
そうならないように、何度でも自分の心を刷新して、‘何もしないこと’に取り組もうと思う
でも、‘何もしないことに取り組’む、とはどうすることなのか、というと無理に何かをしようとしない、無理に何かを考えようとしない、ことだと思う
考えるよりは、感じることだと思う
今ここを感じる
考えようとし過ぎて麻痺してしまった感覚を取り戻す
すべての人、物、が発するものを、感じとる
それを実践していきたい