本当にやりたいことが見つからない。
それは、考えれば考えるほど、探せば探すほど、見つかることに近づけると思っていた。
だが、それば違うようだ。
今出来ること、すべきことを淡々粛々とやっていれば、いつの日か向こうからやって来るものらしい。
大切なのは、見つけることに執着しないこと。
見つけようと執着すればするほどかえって遠のいて、泥沼に嵌って苦しむことになる。
それでも、死ぬ時後悔しないために…と言う人もいるかもしれないが、それはすべきことがわかっているのにしなかったり、良くないと思っていながらそれをしたり、他の人の心を省みず傷つけたり、、、
というようなことをした場合だろう。
考えてもわからなかったことをしなくても後悔はしない。
それでも自分が浅はかだったら後悔するかもしれないが、考え込んでいる時点で浅はかではない。
死ぬ時後悔しないために何かをやり遂げたい、というのも執着だと思う。
死ぬ時あの世に持っていけるものはなにもない。
人に称賛されたとしても、それも自己満足に過ぎない。
ただ、自分が生前したことに対しては責任を取らされるらしい。
何を言っているのかわからなくなってしまったが、やりたいことが見つからなくても大丈夫。
目の前のことを淡々粛々とやっていればいつの日か向こうからやって来る。
やって来なかったとしても、それはそれで大丈夫。
気に病むことはない。
軽く見つけたいという気を持ちつつも、執着しない。
人とも比較しない。
我が道を行く。
気楽に気長に。
自分のペースで。
それが大事だ。