普通に見られなくてはならないという観念
僕は今まで、
どうしたらこの状態から脱っせるのか、
どうしたらこの病気障がいが直るのか、
を瞑想したり、内観したり、本を読んだり、して考えてきた
しかし、実際に何か行動を起こすことはなかった
それは、どこか疲れていて何かできる状態ではない、
あるいは、何かできる能力がない、
という判断からだったと思う
だから、何もすることを思いつかなかったのだと思う、
できなかったのだと思う
それでも、少しずつ精神状態は落ち着いてきたが、
牛歩だった
何かチャレンジして失敗した方がもっと早く色々なことに気づけたのかもしれないが、何故かする気になれなかった
それについて考えてみたのだが、僕はまだ、
‘人に普通に見られなくてはならない’
という隠れた観念に縛られていることに気づいた
そういう間違った観念、動機、があったから何かをする気にはなれなかったようなのだ
瞑想や内観をする時も、
‘人に普通に見られる状態にならなくてはならない’
という間違った目的が混じり込んでいた
‘普通に見せる’のではなく‘ありのままを見せられる’ようにならなければならないのに
だから成果も出なかったし、何か疲れた
何か疲れた
少し休もうか
暫く考えることから離れようか
何も考えず‘ありのままの自分’でいられるようになろうか
栄気を養おうか
観の転換が必要だ