行き詰まった人生、その後…

my職業isひきこもり

明るく元気な

 

某ドラッグストアチェーンへ行くと、‘’パートさん、アルバイトさん募集。明るく元気なあなた!‘’という店内放送を耳にする。

これを聞くと、暗く元気のない自分は疎外されているように感じる。

だいたい、働くのに必ずしも‘’明るく元気‘’である必要はあるのだろうか。仕事をする上で通用すれば、暗くて元気がなくても別にいいのではないか、と思う。

ただ、接客業ということもあり‘’明るく元気なあなた‘’を求めているのかもしれないが、給料を貰う以上、仕事をする上で通用しないのであれば、そこにいる資格はないだろう。

だが、人には色々過去があり、現在の置かれた状況があり、薄っすらと感じる未来の展望もあるものだ。また、自分の性格的なものもある。誰もが‘’明るく元気‘’で在れる訳でもなければ、‘’明るく元気‘’になれと言われてなれる訳でもない。

明るい人もいれば、暗い人もいる。

元気な人もいれば、元気のない人もいる。

多くの人がその中間の何処かにいる。

自分の性格を自分で変えていくことは不可能ではないが、そう簡単なことではない。

何も考えず、気安く‘’明るく元気な‘’を押し付けないでもらいたい。

 

 

学校が嫌だった

 

僕には友達がいなかった。

それは、幼稚園のころからだったと思う。

否、生まれつき?

それでも、小学生のころは友達はいて遊んだりしていたが、その頃の僕は、本当の気持ちを殺して皆に迎合していた、と思う。気持ちの交流がなかったと思う。真剣な話はできなかった。

だから、中学に上がる頃には通用しなくなっていた。人と話せなくなっていた。

それでも、学校の行き帰りには、何となく一緒に通学する友達、みたいな人はいた。だが、学校へ行くとその人達は皆、本命の友達、のところへ行ってしまい、僕はひとり孤立していた。

今では時代が代わり、友達など作らずひとりで学校生活を送る人もいるらしいが、僕が学生だった30年くらい前は、誰もが誰かの友達で、友達がいなくひとりでいると浮いてしまうような時代だった。おとなしく目立たないのに逆にそれが浮いてしまったようだった。

また、からかわれたり、いじめられたりもした。

見下されていたし、現代の女子流に言えばマウントを取られたりした。

学校生活は苦しかった。

特に、修学旅行や文化祭などは地獄のように思えた。

それでも学校に通い続けたのは、学校へ行くことは親の絶対命令であり、学校へ行くことは義務だと思っていたからだ。

それと、世の中の会社は高卒が就職条件になっているみたいだから高校だけは出ておこうという、今思えば不純な考えもあった。

学校では人間関係が通用しなくても、仕事なら通用するとでも思っていたのだろうか…

こうして僕は、自分の気持を殺して、学校へ行く機械になった。

高校さえ卒業すれば自由になれる、と思っていた。

そして、卒業した。

だが高校卒業後、僕の人生は行き詰まった。

八方塞がりだった。

何も出来なくなった。

そして、苦しかった中学高校時代が、自分を変える貴重なチャンスだったと後悔した。

自分の気持ちに正直に在ればよかった。

登校拒否をしてみたり、泣いたり叫んだりすればよかったのだと思う。

必要だったのは、努力ではなく勇気。

でもそれは、長い年月を経た今だからそう気付けたこと、そう思えるようになったことで、当時の僕には無理だったのだろうと思う。

もう一回人生やり直しても、大して変わらないと思う。

でも、自分の気持ちに正直に生きることの大切さ、がいかに重要かが分かった。

これを理解するために、こんな人生を歩んだんだ。

少し時間がかかり過ぎたが、何も間違っていない。

間違っていなかった。

これでよかったんだ。

と思う。

 

 

 

 

 

 

小さな目標

 

現実が見えていないなかった。

 

僕はこれまで、本当にやりたいことを見つけたい、とか、天職を見つけたい、とか、結婚したい、とか願ってきたけど、

それは、大抵の人にとっては普通のことかもしれないが、僕にとっては、今の自分を見据えていない現実離れした願い、執着だった。

 

今、現在の自分が見えていなかった。

 

今の自分は、20年以上無職で、何の能力も経験もなく、引きこもりで、病気で、障害も少しあり、ニートな面もある…

そんな人間だ。

 

全く、現実が見えていなかった。

 

何で自分だけ人生が開けないのか、

進展しないのか、

どうしたらそれが出来るのか、

というようなことばかり考えてきたけれど、結局わからなかったのは、現在の自分の立ち位置を全く見据えていなかったからだ。

 

何かきっかけがあれば何でもできる、とでも思っていた…が、それは間違いだった。

 

今の自分に必要なことは、現実をしっかり見据えた上で、小さな目標を立てること。

それをした上で、一歩一歩レベルアップしていくこと。

焦らなくていい。自分のペースで。

 

まずは、コミュニケーション力を少し上げるということを目標にしよう、と思った。

小さな目標だが、千里の道も一歩から、と考えることにしよう。

 

その先に、明るい未来があると信じて…

でも、執着せずに。

プロセスを楽しめることが努力だ。

 

他の人とは比較せず、気にせずに。

 

 

夢中になれるようになる

 

僕は、特に仕事方面において何をしたいのかわからなかった。

色々考えたり、調べたりしたが、一瞬これだ、と思っても少ししたらやっぱ違うかな、という感じで結局見つからなかった。

だが最近気づいたのは、知らず知らずのうちに、これで稼げるのか、これで喰っていけるのか、という色眼鏡で見ていた。

することを楽しもうという気が欠けていた。

だから見つからなかった、見えなかったようだ。

そこで、一旦稼ぐことは置いといて、継続的に夢中になれるもの、を見つけようと思った。

採算なんか取れなくてもいい、傍から見れば無駄に見えることでもいい。

夢中になって没頭できることを見つけようと思った。

趣味的なことでもいい。

そういうものを否定する考えがあったから、僕の人生はつまらなかったのだ。

 

何かに夢中になる。

そこから再スタートしようと思う。

まだ、どういうことをするかは見つかっていないが…

そして、ひとつ判ったことがある。

それは、おそらく僕は、何処かの組織に属するというような正社員的なものにはならないだろう、ということだ。

何故かというと、まず今の僕の病気や障害などの状態を考えると、とてもではなく無理。

仮に、奇跡的なことが起き病気、障害が治ったとしても、僕のような学歴も、職歴も、経歴も、資格も、人間力も、何かの能力も無く、若くもない人間を、雇いたいというところは、まずないだろうし、僕も正社員的な生き方は性に合わない。

でも小さな所でも雇われれば、広義では正社員ということになるが、職能がないからそれも難しいだろう。

それなら、ライターや、アフィリエイトなどのフリーランスの仕事はどうかというと、それも今のところあまり興味がない。

とりあえず今は、稼ぐとか、仕事にするとか、あまり考えず、何かをすることを好きになって行こう、夢中になれるようになろう、ということを目標にしようと思う。

そこから人生を切り開いて行こうと思う。

まずは日々を楽しく生きれるようになれることが大事だと思う。

そして、病気も治し、障害もできる限りうまく付き合えるようにしていけるようになればいい、

と思った。

 

自閉症スペクトラム障害

およそ4ヶ月ぶりに更新します。

 

自閉症スペクトラム障害と診断された。

それは、人によって症状が違うらしいが僕の場合、人と会話は出来るが気持ちの交流が出来ない、というもののようだ。

比較的軽度な方だと思うが、そう診断されてショックもあったがホッとした面もあった。

‘’働かない‘’のではなく‘’働けない‘’ということが解ったからだ。

だがそう考えると、まだ‘’逃げている感‘’があることに気づいた。

でもそれは子供の頃親に、嫌でも学校へ行け、嫌でもよその子と遊べ、とさせられたからなんじゃないのか、と思う。

とりあえず社会に混ぜておく。

そこで溶け込めないのはおまえが悪いと。

確かに自分から心を閉ざしたという面もあった。

だが溶け込める能力がなかったのは事実だと思う。

そしてさらに心を閉ざし、そういう日々も終わり、長い引きこもりの年月があって、今の自分に至る。

自分のどこがよくなかったのかとか考えてきたけど、元々無理があった…

自閉症スペクトラム障害統合失調症だというのが、今の僕の状態ということになった。

今の自分を客観的に見て、とてもでは働くことは無理だと感じたが僕には、普通に働くのは嫌い、というニートのような面もある。

自閉症スペクトラム障害は個性だ、という人もいる。

それと上手く付き合いながら生きていくしかない、とのことだった。

自閉症スペクトラム障害は治らない。だが、統合失調症は治せる、と思う。

あと、僕の歪んだ性格も直せる、と思う。

今後、どう生きていくのか、まだ見えてこないが改善できるところは改善を目指し、できないところは、それと上手く付き合って生きていくしかない。

5ヶ月ほど前からカウンセリングルームに通っているのだが、通い始めた頃に比べて焦っている感じがなくなってきた、とカウンセラーの先生に言われた。

思えば僕は現実が見えていなかった。

それが見えてきたのかもしれない。

 

今ここと向き合う

 

僕は、今のこの状況状態から救われたくて何らかの職業を得ようとしたり、精神的に何か革命を起こそうとしてきたのかもしれない。

でも、現実的に何かをしようと思っても、何も出来る気がしない、何も出来ることが思いつかない、という状態が続いてきた。。

しかし、重要なのは‘何をするか’ではなく、‘それをどういう態度で向き合うか’だった。

それを知った時、今の僕の課題は‘今のこの何も出来ない状況状態を受け入れて、今を極めること’だったとわかった。

今ここから逃げるな。

今ここと向き合え。

今のこの状況状態を受け入れて、、、

そう考えると、今のこの状況状態は決して悪くはないと思えるようになってきた。

そして、今のこの状況状態を極められるようになれば、きっと何かが出来るようになったり、何か思いついたり、新しい局面が出てくるのだと思う。

無理に現状変更を願ってもがくのではなく、

今を受け入れよ、ということだった。

今を極めよ、ということだった。

今ここで救われよ、ということだった。

 

 

 

 

 

正社員

 

僕は正社員(とりわけ会社員らしいもの)に絶対になりたくないと思っていた。

でもそれは僕が子供の頃、人の輪に溶け込めなかったことから来ている反応だと気づいた。

人との軋轢を避けていた。

こういう縛りがあると、真にやりたいことは見つからない。

正社員になるならないは別として、なるのが嫌だ、絶対にならない、というような考えを捨てることにした。

そこに生きる道があるのなら、それも受け入れることにした。

自分に出来ることなら何でもやってやるぜ、という心構えを持とうと思う。

人生を切り開くには、そういう考え方が重要だと思う。