学校が嫌だった
僕には友達がいなかった。
それは、幼稚園のころからだったと思う。
否、生まれつき?
それでも、小学生のころは友達はいて遊んだりしていたが、その頃の僕は、本当の気持ちを殺して皆に迎合していた、と思う。気持ちの交流がなかったと思う。真剣な話はできなかった。
だから、中学に上がる頃には通用しなくなっていた。人と話せなくなっていた。
それでも、学校の行き帰りには、何となく一緒に通学する友達、みたいな人はいた。だが、学校へ行くとその人達は皆、本命の友達、のところへ行ってしまい、僕はひとり孤立していた。
今では時代が代わり、友達など作らずひとりで学校生活を送る人もいるらしいが、僕が学生だった30年くらい前は、誰もが誰かの友達で、友達がいなくひとりでいると浮いてしまうような時代だった。おとなしく目立たないのに逆にそれが浮いてしまったようだった。
また、からかわれたり、いじめられたりもした。
見下されていたし、現代の女子流に言えばマウントを取られたりした。
学校生活は苦しかった。
特に、修学旅行や文化祭などは地獄のように思えた。
それでも学校に通い続けたのは、学校へ行くことは親の絶対命令であり、学校へ行くことは義務だと思っていたからだ。
それと、世の中の会社は高卒が就職条件になっているみたいだから高校だけは出ておこうという、今思えば不純な考えもあった。
学校では人間関係が通用しなくても、仕事なら通用するとでも思っていたのだろうか…
こうして僕は、自分の気持を殺して、学校へ行く機械になった。
高校さえ卒業すれば自由になれる、と思っていた。
そして、卒業した。
だが高校卒業後、僕の人生は行き詰まった。
八方塞がりだった。
何も出来なくなった。
そして、苦しかった中学高校時代が、自分を変える貴重なチャンスだったと後悔した。
自分の気持ちに正直に在ればよかった。
登校拒否をしてみたり、泣いたり叫んだりすればよかったのだと思う。
必要だったのは、努力ではなく勇気。
でもそれは、長い年月を経た今だからそう気付けたこと、そう思えるようになったことで、当時の僕には無理だったのだろうと思う。
もう一回人生やり直しても、大して変わらないと思う。
でも、自分の気持ちに正直に生きることの大切さ、がいかに重要かが分かった。
これを理解するために、こんな人生を歩んだんだ。
少し時間がかかり過ぎたが、何も間違っていない。
間違っていなかった。
これでよかったんだ。
と思う。