根本的改善
僕は、ひきこもりや精神的な病気の影響で、20年以上働いていない。
こういう人には普通なら、何でもいいからやってみなさい、働いてみなさい、という声をかけてあげるのがセオリーかもしれない。
しかし僕の場合、働いたりすることは‘’普通の人‘’という殻を被って本当の自分を隠そうとする行為なのではないか、と思えてしまう。
つまり、逆運なのだ。
だが、何もしないことで自分を隠している状態を続けている、とも考えられる。
そうなると、逆逆運なのか。
でも、冷静によく考えたり、病院の先生の判断等によると、普通の健康な人と同じように働いたりすることは無理っぽいようなのだ。
逆逆逆運なのか。
それならば、何でもいいから出来ることをやってみればいいではないか、と思うかもしれないが、そうすることは安易に妥協して自分と向き合うことから逃げて、悩み考えることから楽になろうとする行為、にも思えて、する気にもなれない。
こうなると、どうすることが正解なのか、正解などないのか、分からなくなってしまった。
ただ最近になって、‘’休みなさい‘’、というインスピレーションを感じたような気がした。
僕は少し焦って前のめりなっていたのかもしれない。
もっと冷静に客観的に自分を見なさい、考えなさい、ということかもしれないが、自分一人で考えるのには限界を感じていた。
そこで、今度カウンセリングルームに通うことになった。
明後日、初回のカウンセリングを受けて、その後多分週一くらいの間隔で通うことになりそうだ。
最初に、カウンセリングを受けたい通いたい、と思い立ってから半年くらいたって、やっとだ。
半年もかかったのは、通院先の病院の先生の許可と紹介状が必要だったためで、僕が罹っている病気(統合失調症と診断されている)の人がカウンセリング等を受けると症状が再発するケースが多いらしく、カウンセリングを受ける可否を見るため、心理検査を受けたりしたためだ。
しかし、どういう判断かよくわからないが、カウンセリングに通っていいということになり、紹介状も書いてもらって、カウンセリングルームに申し込みをして、先週になってようやく連絡があって、初回の日程が決まった。
だか、この半年くらいの間に、僕の考えや気持ちはかなり変わった。
カウンセリングが有効なものになるのかどうか、カウンセリングの先生に僕のことを理解してもらえるかどうか、はわからないが、やってみたいと思ったことはやってみた方がいいと思った。
しかし、過剰な期待はしていない。
しないほうがいい。
だが今、具体的に出来ると思える行動はこれしか思い当たらない。
僕のこじれて行き詰まった人生を打開できますように。
少し良くする、少しマシにするのではなく、
根本的に改善できますように。