行き詰まった人生、その後…

my職業isひきこもり

覚悟が欠けている

 

カウンセリング初回、受けてきました。

 

カウンセラーの先生は、アラフォーの既婚者の女性で、第一印象としてはなかなか相性がよさそうで、とりあえず良かった、安心した、というのが感想だ。

今回は初回なので比較的表面的なことを話した。これまでの僕の大まかな経緯、経済的に自立したいというのが目標であること、しかし何をしてそれをしたいのかわからない、わかったとしても病気や障害(のようなもの)で何かをすることが難しい出来そうにないと感じること、仮に何か出来るにしても会社員のように束縛が厳しいものは嫌であると同時に、フリーランスのように自由でもほぼ誰とも会わずに一人で完結して出来てしまう仕事も嫌だということ、などを話した。

そして、次回の日程を決め終えた。

 

今回は比較的さわり的な話をしただけだがひとつ気づいたことがある。

それは、僕には‘’何かをしようという覚悟‘’が欠けているということだ。

‘’何かをするという決断が出来ていない‘’と言ってもいい。

僕は、何をするのか、どういう風にするのかを完全にとまでは行かなくても、ある程度決めてから、解ってからしようとしていた。

それが少し間違っていた。

何かをする前から何をどうしたいのか完全に解っている人はあまりいない。何かをやってやろうという決断、覚悟をし、なんとなく自分に合いそうな仕事や会社等を選んでいるということ。そして、それを自分の仕事化にしていること。

多くの人はそういう風に生きていると思った。

仕事なんて何でもいい。直感で決めていい。それで出逢ったものは何かの縁があるものだから、最低でも3年は続けなさい。合うか合わないかは3年やってから考えなさい。と最近読んだ本に書いてあった。

大事なのは、何でもいいからやってやろう、という覚悟、決断をすること。

でも、何でもいいと思って始めたとしても、何かの縁があって出逢えたということ。

例え、それが回り道だったとしても、長い目で見ればその経験が無駄になることはないということ。

すべては神様に導かれているということを信じるということ。

そういう覚悟をすることが僕には欠けていた。

 

では、今すぐそういう覚悟をしよう、と思ってもためらってしまう…

やはり覚悟が出来ていない。

長い間出来なかったことはそう簡単には出来ない。

無理にしようとすれば、骨抜きになってしまう。

少し時間がかかってもいいから、その‘’何でもいいからやってやろう‘’という覚悟を確実にしようと思う。

決断をしようと思う。

それが出来れば、その先の展望が見えてくると思う。

すべては導かれているということを信じるということ。

それが、今後やっていくべきこと。

 

今回のカウンセリングで自分で自分のことを話してみて、それを振り返ってみて、そう感じた。