義務的にやろうとしない
僕は、長い間、働いていない
というより、働いた経験が、非常に少ない
それは、働く能力がないから、ではあるが、
働きたい、何かをしたい、という気持ちがないから、働く能力が身につかない、のだとも思う
働かなければならない、何かをしていないといけない、という観念も少しあるが(結構あるかもしれないが)、
義務的に何かをしたとしても、誰のためにも、自分のためにも、何のためにも、ならない
と思う
僕は、何とか働ける能力、何かをする能力、を身につけなければならない、と考えてきたが、
だが、結局それは、その気になれぱできる、という余裕感、安心感、を求めていただけにすぎなかった
それでも、生活のために働く、という人も世の中にはいると思うが(そういう人が多いと思うが)、それでは、何のために生きるのか、ということになってしまう
人は、基本的に、自分の好きなこと、得意なことを、するべきで、苦手なこと、嫌いなことは、それをしなければならない状況になった時のみすればいい、と誰かが本で言っていた
実際、成功している人、人生上手くいっている人、幸せそうな人、は皆、自分の好きなこと、得意なことを、自分のペースでしているように見える
僕も、そのようになりたい、目指したい
だが、僕には好きなことがない、というよりわからない
得意なこともない、
というより、すべてが苦手なことのように見える
だが、僕には、したいことを見つける以前に、真に好きなこと、したいこと、をしようとする心構えができていない
でも、それを無理にしようとすると、義務的にしなければならない、という風になってしまう
難しい
自然にその気になるまで、待つしかないのか
自然に何かが見つかるまで、待つしかないのか
人は人と出逢うことによって変われる、という
心が病んでいて、ひきこもりのようである今の僕に、出逢いはない
そういうものは、求めれば求める程、得られないようにも思える
余計なことはあまり考えないで、運命に身を委ねる
サーファーのように、波がきたらそれに乗れるように、心の準備をしておく
そうするしかないような気がする